「なぜ、どうして、クリスチャンになったか?」/50代 男性
 私は一昨年の12月24日聖日礼拝の中で洗礼を受けて名実ともにクリスチャンとしてスタートいたしました。インマヌエル聖宣神学院教会に通い始めて四年と数か月が経っていました。この間 牧師先生方・信徒の方々に優しく励まされながら毎週聖日礼拝には殆ど休まずに出席してキリスト教に関心を持ち続けてきましたがなかなか罪の告白には至りませんでした。しかし、こんなに長く関心を持ち続けることができたのは今から思えばその背後に素晴らしい神様の愛と恵みがあったからだと思います。

 私は64歳で会社生活を終えて教会に通いはじめましたが特に強い動機が背景にあった訳ではありません。
 私が生れ育った所は京都の南端の歴史のある古い町でお寺が沢山ありました。町は仏教徒の人達ばかりで老若男女がそれぞれに年中 仏教行事に関わっていました。私も幼いころから家庭では家族そろって仏壇の前でお経を唱えたり、また事あるごとにお寺に行っては「南無阿無陀佛」と言って仏様を拝んでいました。
 キリスト教に初めて接したのは大学に入ってからでした。大学はミッションスクールであったのでチャペルでの礼拝や講義が必須科目でありましたがキリスト教への理解と関心は全く深まりませんでした。仏教徒の家庭に育ちながら、特に意識することなくミッションスクールに進学したことは、今から思えばこの時すでに神様のお導きのみ手があったのだと思われます。エペソ人への手紙一章4−5節にこのように書かれています。「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のないものにしようとされました。神はみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」

 学校を卒業して社会人になった時は日本経済がひたすら右肩上がりの成長発展を続けている時でした。各企業は一斉に海外への進出をはじめ経済活動は活況を呈していました。私の勤務していた会社もまさにその代表格で、毎日夜中まで残業の連続で休日出勤も当たり前のような生活を送っていました。

 やがてそんな中で私は香港・シンガポール・オーストラリアに転勤となり約20年間市場開拓に従事しました。やがてバブル経済の崩壊で企業活動も修正期に入りますがこのような慌ただしい経済・社会環境の中では宗教に思いをはせる余裕は全くありませんでした。
 そのように過ごした42年間の会社生活から解放されて、これからの過ごし方を考えた時、「人生にとって何が大切であるのか」、「人生とはどうあるべきか」、「心のよりどころは」、と言った課題に直面しました。丁度その頃、会社時代の仲間や身近な知人・友人と会い人生を語り合う機会が多くなっていました。その中にはクリスチャンや、教会に通っている求道中の者もいてキリスト教が度々話題となりそれが契機となって「よし自分も教会に行って聖書を学んでみよう」と決意しました。最後の勤務地のシドニーでは教会の前に住み、また街中至る所で教会が目にとまっていたのも知らないうちに導かれていたのかもしれません。帰国して、30数年前に建てた北八朔の住居に戻りましたが、幸いにも教会が徒歩圏内にあることが早い決断になりました。とは言ってもいきなり教会に足を踏み入れるのには敷居が高く少々勇気が要りましたので散歩の振りをして神学院のキャンパスを歩いていたところ偶然にも平位先生と徳竹先生にお会いすることが出来ました。お話をしているうちに優しくお招きを受けて早速その次の聖日に初めて教会を訪れました。
 何事でも関心のあるところには情報は集まるもので、時を同じくして大学OB会のサークル活動に「聖書を学ぶ会」のあることが分りそこにも参加することになりました。
 このようにしてキリスト教の学びが始まりましたが、これまで日常生活では馴染みのなかったキリスト教用語が頻発してきました。
 そもそも教会の冠になっている「イムマヌエル」と言う言葉は日ごろ口にしたことはなく其の意味もわからないし、神の愛・永遠の命・救い・罪の告白・恵み・祝福・・・・・等々に、まったく理解がついていきません。礼拝に出席したときはいつもすがすがしく心が洗われた様になるのですがその気持ちは長続きしませんでした。
 こんな時、心強い助け舟が現れました。現在八王子教会の主任牧師になられた江藤博久牧師と御婦人です。当時は神学院で学生として修行中でしたが、昔シンガポールで同じ時期に駐在していたことや同年齢であることが分り急に親しくなることができて、私の疑問にいつも親切に応えていただきました。
 駄々をこねるような私の質問には手を焼かれたこともありました。  そんな時は国光幾代子先生に説き明かしていただくこともありました。やがて「神の存在」、「人の罪」については分かるようになってきましたが、なぜか信仰の告白ができません。牧師先生方が時にふれ聖句を送ってくださりじっと我慢して私のその時を待っていてくださっているのが良く分りました。
 いくたびか国光先生に疑問を投げかけているうちに、ある日自分の気にかかっていた問題をご相談する時と場所を設けていただくことになりました。それはすでに数年前に過ぎ去った時の出来事でした。実家の家業を引き継いだ長兄がバブルの崩壊で事業に失敗した時のことでした。私は家業には全く関与していなかったのですが名義上の保証人となっていたため私にも巨額な金銭的被害と弁済義務が及びました。その時の長兄の私に対する対応が彼は動転していたこともあってとても不誠実であったため私はショックを受け兄に対する憤りと憎しみはこれまでに経験したこともない大きなものでした。今では時が経つにつれて思い出すことも少なくなりましたが、やはり完全に忘れ去ることができません。
 聖書には「人を裁いてはいけない・憎んではいけない。」と教えられています。
 この「みことば」に接したとき私はこの「憤りと憎しみ」の心の納めどころが分らなくなりました。主の祈りの中にも「われらに負債あるものを、我らがゆるすごとく、我らの負債をもゆるしたまえ。」とありますがこの部分が祈れなくなりました。
 国光先生にご相談したところ「人に対し憤り、人を憎むこと」は人の罪であると言う御説明をいただき、「人間の罪の代償に身代わりとなって死んでくださった主イエスキリストを信じて」この罪を認め告白し悔い改める決心が付き、神の前に悔い改めの祈りをしました。それは2006年12月10日のことでした。
このとき先生からいただいた聖句は:

 ヨハネの手紙第一 1章9節 :
 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を許し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

でありました。
 洗礼を受けてから、教会にそして聖書に親しみをもつように日頃心がけていますが、聖書を読んでいても理解のできないところが多くあったり、又生けるイエス様に出会ったとの自覚に乏しかったり、イエス様にすべてをゆだねていなかったり・・・とまだまだ自己中心の日々を送っています。

ここで、日ごろ私が心にとどめている聖句をご紹介させていただきます。

 ピリピ人への手紙 2章3−5節
 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。あなた方の間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」

最後に
罪に対する赦しをいただき罪の呵責から解放されたことを感謝しておりますが、ペテロの手紙第一 2章2節に述べられている通り、まだ「今生まれたばかりのみどり児」のようで信仰の浅いことを日々感じています。これからもみ言葉を糧として成長していきたいと願っています。