「聖書の凄さに驚いて」40代/男性、会社員
 私は、昨年2003年12月21日のクリスマスに、息子と2人で洗礼を受けられたことを感謝します。私と教会との繋がりの発端は19年前の1984年に、調布の教会のクリスマス会に出席したときからであります。妻はその後、1987年に調布の教会で洗礼を受けました。しかし、その頃私は、神様の存在は信ぜず、神様に祈るだけということには全く抵抗がありました。人それぞれには生まれてきた意義があり、役割も違い、それぞれが与えられた環境で自己のベストをつくし、自分で悩み苦しみながらも、自分を向上させ、社会にも貢献していくこと。そういう生き方が大切だと考えていました。幾度も、幾度も妻からは教会へ行こうと誘われましたが、断り続け、せいぜい教会への送り迎えや子どもを交えたイベントに付き添うだけでした。
 
 そんな状態が長く続いた後、教会に頻繁にくるようになったのは、子どもの学校の問題が深刻化してからでした。私も、妻もいろいろ悩み、カウンセリングや参考となる本を読んだり、テープを聞いたりと、その原因や対策を話し合いました。そうした時、かならず、私の方が妻を結果的には批判し、私の考えが正しく、妻の考えが不充分であり、子供に対する接し方も不適切であり、妻が悪いと、決めつけていました。しかし、カウンセリングの話しでは、まさに私のような考えの父親が、そもそも原因なのだということが言われ、私の考えが、自分中心の考えであること、無意識の内に、人を批判し、人を裁き、逆に、自らは高ぶることをしていたと感じさせられました。子どもにとって、夫婦間の愛情が大切であること、夫婦の間の愛の存在が、子どもを安心させ、家族全体の良い関係を作っていくものだと教えられました。
 
 妻と子どもたちが毎週教会に来ていて、私は送り迎えだけで教会の中に入ることはありませんでしたが、一緒に教会に行く事が子ども達の喜びにもなり、夫婦の間の関係を良くすることに繋がると思い、2001年の秋ごろから、教会の中に入るようになりました。教会に行くうちに、キリスト教についてよく知りたいと思うようになりました。キリスト教の愛の教えは自分でも支持するもので、あまり抵抗はありませんでした、信徒の方とも仲良くでき、一つのコミュニティへの参加程度に思い、それに加わってもよいかなと、思い始めていました。しかし、理解を深めて行くにつれ、自分の考えている次元より、キリストの教えは、はるかに高く、深いものとわかり、逆に一歩引いてしまいました。通常、嬉しいことがあれば素直に喜び、困ったことがあれば何かに願いを託し、祈り、良き事があれば人に感謝することは大切なことであり、そのように教えている宗教は多い事でしょう。しかし、いつも喜んでいなさい、たえず祈りなさい、全ての事、良い事も悪いことも含め、全てのことに感謝しなさい。と、言い切る凄さに驚き、全てのことを神にゆだね、神の前にひれ伏し、全てが神の計画の上でのこと、また神が全てを備えてくれると信じ、全てを喜びとするその深さに、驚き、半端じゃいけない、一つ身を整えて向かって行こうと言う気持ちになりました。私の前には多くの疑問や不安がありましたが、より深く学ぶために、聖書を読んだり、ビデオ講座を聴講したり、三浦綾子さんの本などを読んだり、諸先生方からの教え、信徒の方々の経験やアドバイスも参考にし、疑問や不安を少しずつ、解決していきました。日常においても、いろいろなことに心をとめ、ふと、神様の存在を意識するようになりました。一つ一つ階段を上り、神様の前に近づいていきました。やがて、神様を信じるようになりました。
 
 一方、自分については、自分勝手で、人を裁く事、高ぶること、自分の不完全さを強く反省させられました。だれもいない所でも、神様は全てをみている、自分は毎日、神様の望むこととは違った過ちを犯し続けている、と解かるようになりました。神様を受け入れるためには、そのみ言葉を受け入れる畑が自分にできている必要があります。しかし、少しだけでも神様の言葉を受け入れられる畑ができていたなら、信じて告白し、神様にしたがっていくことが許されると、教えていただき、神様を信じて歩むことに踏みきりました。それは、以前は物凄く遠くに、高くに見えた神様との一線でしたが、もう、それは地上の一本のラインをまたぐくらいの相違しかその時の自分には違和感はありませんでした。ここまでの経緯に、神様のご計画を悟り、今後は自分の知識、経験を生かし、神様が示された自分の役割をはたしていくことで、神様の計画の一部を担う喜びを感じます。これから、今よりもっと大変な試練があるかもしれません、しかし、常に神様が側についていてくれ、助けてくれると思うと、試練も怖くありません、試練の中にさえ自分がすべきこと、神様が自分に託しておられることをつかみ、進んでいくことができると確信しています。
 
 私が19年かかって受け入れた神様を、妻は直感で受け入れました。結婚して、もうすぐまる23年になります。これまで、妻と結婚して悔やんだことは一度もありません、しかし、「夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当ってはいけません。」と聖書にもありますが、妻に対してやさしくしていたかと言う事については、残念ながらそうではありませんでした。妻を責めていた自分を深く反省します。そんな自分にずっとついてきてくれ、神様との出会い、結びつきまで導いてくれた妻に深く感謝いたします。