「白いゆりの花のように」小学六年生女子
 私は今、小学校の6年生です。私が母に連れられて、初めてこの教会に来たのは、8年前の4歳の時でした。それ以来、毎週日曜日には教会に来て、礼拝や教会学校に参加してくることができました。その中でも、夏の教会学校のキャンプやお楽しみ会、クリスマス会などは私にとってとても楽しい思い出になっています。そして、教会の先生方や兄弟姉妹方は、いつでもどんな時でも、あたたかく、優しく接してくださり、私と一緒に祈って下さいました。それでは、どうして私が洗礼を受けるようになったかをお話しします。
 
 一昨年の2000年、9月と10月に、突然に続けておじいちゃんとおばあちゃんがなくなって、仏式のお葬式に行きました。その時、私は疑問に感じたことが3つありました。一つは、「どうして、人が人に手を合わせて拝むのだろう?」という事。二つ目は、「どうして、人が亡くなった後に、お坊さんから順位のある戒名をつけられるのだろう?」という事。そして三つ目は、「人は亡くなったら、本当にどこへ行くのだろう?」という事です。特に三つ目の疑問を深く考えたら、だんだん怖くなってきました。でも、その時、ふと教会で教えていただいた、『神さまを信じて、神さまに罪を告白し、ゆるしてもらった人は天国へ行くことができる。』という事を思い出しました。その時、「私もいのちがいつなくなるかわからないだから、私が今までしてきた色々な罪を、少しでも早く神さまに謝りたい。」と思ったのでした。
 
 そして2001年のイースター礼拝の日、バーバラ・バルカー先生が白いゆりの花のお話しをして下さったあと、「白いゆりの花のように、自分の心も白くなりたい人は?」と聞かれたそのとき、私は“サッ”と手を挙げました。その日のイースター礼拝が終わって、すぐ私は教会の先生にお祈りしていただきました。平位先生を始め、たくさんの方たちが、私のことをお祈りして下さいました。私も、母と毎日お祈りし続けました。
 
 そして昨年12月23日、受洗の日を迎えることができました。私の頭に平位先生の手が置かれたとき、私は冷たい飲み物を飲んだときよりも、はるかに体の中がスーッとさわやかになりました。とてもうれしい気持ちでいっぱいでした。
 
 これからもずっと、神さまと一緒に喜びと愛を持ち続けて行きたいと思います。そして、一人でも多くの人が教会に来て、神さまのことを知り、救われるようにいつもお祈りしたいです。
 
 私の救いのみことばは、「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1章9節)です。